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セネカ『人生の短さについて』 要約とまとめ

1.人生というのはあまりにも短いため、人生の用意がなされた途端に人生に見放されてしまうと言う人が多い。しかし我々の人生は短いのではなく、その時間の多くを浪費している。つまり我々は人生を短くしているのだ。財産も時間も使い方が重要である。


2.他人のために時間を使ってばかりで、自分自身を省みず、自分自身には耳を貸そうとしないのだ。


3.今にも死ぬかのように全てを恐怖するが、それと同時にいつまでも死なないかのように全てを熱望する。○歳からは暇になる、というが、人はいつ死ぬか分からないということを忘れている人間の言葉だ。


4.大きい権力を持ち、高い身分に登った人でも「暇が欲しい。」と言う。彼は暇になっている自分を希望し、それを想像することで自分を慰めていた。


5.キケロは友への手紙の中で、自分のことを「半ば自由を失った者」と言って過去の歳月を嘆き、現実に不満を述べて将来に絶望している。


6.他人の目には幸福に見えても、その本人は実は嘆いている。人生の期間は常に流れ去っていくもので、理性によって延ばすことはできるが速やかに我々を見捨てて行ってしまう。


7.生きること、そして死ぬことは生涯をかけて学ぶべきことである。多くの大偉人は一切の邪魔者を退け、財産も公職も快楽も捨てた。ただいかに生きるかを知ろうとするし、それでも分からないと白状するレベルだ。彼らは自分の時間から何一つ取り去られることを許さないのだ。


8.誰一人として時間を評価する者はいない。しかし、死の危険が迫ってくると途端にその価値を改めて実感する。大きい感情の矛盾である。時間を失うというのは目に見えない損害なのだ。


9.事を先に引き伸ばすのは、生活をはるか遠くに投げ出すこと。明日に依存し、今日を失う。将来のことはすべて不確定要素のうちに入る。今直ちに生きようとしなければならん。
「幸薄き多忙な人間共にとって、まさに生涯の最良の日は、真っ先に逃げていく。」


10~12.多忙な人間とはどういうことか?ただ忙しい人というだけでなく、くだらないことばかりを常に気にしているような者や、また甘やかされており自分が今何をやっているかを知らない者のことだ。
本当に暇のある人というのは、自分の暇の何であるかについても気づいている人のことなのだ。


13.将棋とか球技とか、そんなことに熱中して人生を浪費する人も暇のある人ではない。またくだらない問題ににムダな努力を払っている人もそうだ。そのような知識が誰をますます勇敢に、正しく、自由にしてくれるのか?


~以下から結論部分に入る~


14.英知に専念する人のみが暇のある人であり、そういう人のみが本当に生きているという言うべきだ。真の職務に携わっている者といえるのは、ゼノンやアリストテレスのような人たちを、毎日最も親しい友だちのようにしたいと望む者だ。彼らは決して留守にしないし、君たちを追い返すようなこともしない。


15.よく言うように、どんな両親を引き当てようとも、それは我々の力ででどうすることもできなかったことであり、偶然によって人間に与えられたものである。とはいえ、我々は自己の裁量で、誰の子にでも生まれることができる。どれでも養子に入りたい家庭を選ぶが良い。


16.多忙な生活から見放されると、暇の中に取り残されてしまう人もいる。その暇をどう使うべきか分からないし、次から次へと別の快楽に乗り移ってある一つの欲望に終始できないのだ。


17.このような者たちの快楽そのものすら不安定であり、歓喜の絶頂の最中に、「これがいつまで続くだろう」という不安な憂いに襲われる。新しい多忙が古い多忙にとって代わり、希望が希望を、野心が野心を駆り立てる。


18.多忙なパウリヌス(弟子)よ、公的な生活からは身を引くべきだ。君は、今まで熱心にしてきたすべての仕事よりも、もっと大きな仕事を見つけるであろう。君は退いて心静かにそれを実行するがよい。自分自身の人生の利益を知るほうが、公共の穀物の利益を知るよりも、もっと有益なことである。


19.このような暇のある生活において君を待ち構えているのは、幾多の立派な仕事である。すなわち徳の愛好と実践であり、情欲の忘却であり、生と死の認識であり、深い安静の生活である。


20.高い身分や名声のために人生を空費するな。死ぬまで現役でありたいと願うのも愚かだ。自分の葬式の段取りなど無駄だからやめるべきだ。



「人生の短さについて」を俺なりにまとめるとこうなる。



『英知の獲得に専念せよ。』



要は、くだらないことのために時間を浪費せず、真理の探求のために時間を使うべきだということだろうね。
そのためには先人と友達になったり、またその家庭に養子に入る、つまり先人の考えを学ぶことから始めるのが良いだろうと言っている。


ちなみに俺には恥ずかしながら人生の目的の1つとして「魔術の習得」というものがある。

この人生の短さについてというものを読んだとき、英知の獲得のための手段と魔術の習得のための手段は非常に似ていると感じた。

ここで話されている英知の獲得のための手段としては、ソクラテスなどがやっていた「正義とは何かを探求する」といった行為のことを指しているのだと思うが、魔術の場合は「五感では感じ取ることのできない現実を探求する」「自分の意識の中に自由自在に変革を起こす技術を身につけるための修行をする」である。

魔術の定義は色々とあるのでここでは詳しくは書かないが、どちらにしても怠けたような生活をしていては到底得られるものではない。

とはいえ誰だって怠惰や放蕩に流されることもある。俺もそうだし。
そして今は労働を肩代わりしてくれるような奴隷もいないからお金を稼ぐためにある程度は働かなくてはいけない。

でも常に「英知の獲得」を念頭に置いておこうと思う。
怠惰な自分を受け入れつつ、それでも意志は失なわない。
少しずつでも混沌から光へ近づいていきたいと思っている。