デイヴィッド・コンウェイ『魔術 理論編』を読む イントロダクション
他の動物達はうつむきになって、
目を地面に向けているのにたいして、
人間だけは顔をもたげて天を仰ぐようにさせ、
まっすぐ目をあげて空を見るようにいいつけた。
(オウディウス『変身物語』)
序文をとばして緒言(イントロダクション)から
p31
しかし宗教が超自然を公式の神学の枠内に限定し、信者もそれを受け入れなければならないのに対し、オカルティズムのほうは超自然を自ら体験するように、支持者にハッパをかけるのだ。
オカルト(occult)の意味について調べてみると……
オカルトというのは決して空想とか妄想の類の意味ではないみたいだな。
隠されている、肉眼では発見できない、人間の理解を超えている、しかし現実に存在しているモノ、コトをオカルトと言うのか。
なるほどオカルティズムというのは、そういった五感で捉えられないもの(目で見たり耳で聞いたりできないもの)を何とかして捉えたい、探求していきたいという姿勢のことらしい。
一応宗教もオカルトの1つではあるが、例えば宗教は聖典に書かれている内容は無条件で受け入れることを望む、つまり宗教が受動的なものであるのに対して、オカルティズムというのは何でもかんでも受け入れるのではなくて、全てを自分の頭で考えてみようという能動的なものであるというわけか。
p32
日頃慣れ親しんだ物質界の彼方にも現実があるかもしれないと考えている。そしてこうした人たちにとってオカルティズムとは、その別の現実を探求することなのである。
オカルティズムというのは空想に浸ることではなくて、あくまで探求の対象は現実なのだと強調している。ただその現実は、科学に支配されている物質界からは見えないってことか。
p33
オカルティズムの恵みの中には、ひとりひとりが自力で個別に超自然を体験させてもらえるということもあるのだから。超自然というのは、もう一度言わせてもらえば、五感ではとらえがたいとはいうものの、決して非現実的ではない次元という意味である。
非現実的ではない次元というのはどういうことなのだろうかと思っていたら後ろの方にあった例えの中に、瞑想や、ドラッグによる聴覚視覚体験というものがあった。
うーん、ドラッグの場合は通常の五感を無理やり増幅してるからそれは超自然ではなくて五感で捉えているものだと思うんだよな。
ただ瞑想の場合は、何となくスッキリした気がするとかそういった曖昧な感覚を得られるのは確かだと思うし、もしそういう感覚を自由自在に操れるとしたらそれはすごいことだと思う。
p34
逆に科学の前提条件(いかに物質論的なものでも)と矛盾しないとわかれば、魔術はまともにとりあげるに値するということが証明されたことになる。
魔術が常識や理性、科学思想と矛盾しない ということをこれから証明していきたいと言う。
科学も魔術も現実を探求するということは共通しているが、科学の場合は五感で捉えられるものを通して現実を探求していくのに対し、魔術の場合は五感では捉えられないものを通して現実を探求していく、結局科学も魔術も目的は同じなのだから矛盾するのはおかしいということかな。
とりあえずプロローグで大事そうな部分はこれぐらい。